2015.08.07

SPECIAL INTERVIEW「日本の玄関口・JR上野駅今昔物語」

[第3回:上野東京ラインで始まる、新時代の上野]

●JR上野駅駅長 太田 稔さん
●聞き手 佐藤 輝光(松坂屋上野店)

北陸新幹線の金沢への乗り入れ、上野東京ラインの開業など、JR上野駅にも新しい時代が訪れています。上野東京ライン開業にまつわるエピソードについて、JR上野駅駅長の太田稔さんに伺いました。
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佐藤編集長と太田駅長

■上野東京ラインがもたらしたもの

佐藤:北陸新幹線が金沢まで延びて、上野東京ラインが開業し、上野も変わりますね。

北斗星最後の出発合図をする駅長

北斗星最後の出発合図をする駅長

太田 :寝台特急「北斗星」の定期運行が最後となりましたが、翌日、北陸新幹線が金沢まで行くようになり、また「上野東京ライン」が開業するというように、上野駅に新しい時代が始まりました。私は以前、線区を命名する仕事に携わっていましたが、「湘南新宿ライン」の時に初めて、新宿を経由して直通運転するという直通サービスを路線名としました。最初は、みんな違和感があって、“えー”という声もありましたが、発表したら、世の中の皆さんからはすごくわかりやすいという声をいただき、安心したのを覚えています。今回の「上野東京ライン」も当初から計画に携わってきましたが、高崎線、宇都宮線については新幹線ができたので、乗換えなしで東京まで行き来できるものの、常磐線は新幹線がないので、乗換えなしで東京に乗り入れ、さらに品川に直通するというのは、常磐線沿線に住む方にとって長年の悲願だったと思います。私としては、東海道線が上野まで直通化したことがすごいと思っています。湘南新宿ラインの時も、東海道沿線の方から、新宿を通るのも便利だけれども、大宮がすごく近く感じられるようになったという声をよく聞きました。今回は、東京から上野までつながったことが大きい。今まではわずかな区間でも乗換えなければならないことに抵抗を感じていた方が多かったと思います。その不便がなくなり、歴史と文化の街・上野にストレートで行けるようになった。もちろん近くには浅草もあるし、江戸文化といえば、やはり上野なんですね。そこに直通で行けるというのが狙いであり、願いでもあった。何より上野の街の皆さんに、すごく喜んでいただけたし、「上野東京ライン」という名前からすぐに“上野”がイメージできるというのが大きかったと思います。

 

■上野の街の新しい挑戦

上野東京ライン開業、上野駅出発式

上野東京ライン開業、上野駅出発式

佐藤:上野観光連盟の二木会長も、名前に”上野”とついたのが、この街にとってどれだけ大きかったか、熱く語っていました。

太田:一般のお客様にもわかりやすいですからね。私が着任した当初は、上野が通過駅になり、廃れてしまうのではないかと、マイナスのイメージを持たれている方もいらっしゃいました。そもそも朝の通勤時間帯では、山手線・京浜東北線の上野—御徒町間というのは、日本一の混雑区間といわれているくらいで、混雑時の乗車率は201%です。それが今は、乗車率は170%くらいになっているので、間違いなく30%程度は混雑が緩和されていますし、乗換えの不便もなくなりました。お客様に毎日体感していただける飛躍的なサービス改善ということでは、狙い通り達成できたと思います。さらに常磐線悲願の東京乗り入れ、そして東海道沿線、湘南沿線から乗換なしで文化の都・上野へ、という目的も予定通り実現できました。2年前は、そういう本当の狙いが上野の街の皆さんに伝わらず、上野が始発駅から通過駅になってしまうのではないかと、あまり歓迎されていない感じでした。なので、機会あるごとにお話をして、特に湘南東海道方面から乗換なしで上野に来ていただけるようになるということを強く訴えてきたのです。

上野東京ライン

上野東京ライン

結果的に、「上野東京ライン」という願い通りの名前になりましたし、私もすごく嬉しかった。街の皆さんにも、真意が伝わったと思っています。最近は横浜との交流もスタートされて、2年前とは様変わりです。
上野の街の皆さんにとっては、今まではお客様を迎える立ち位置だったと思いますが、今度は、街から外に打って出て、お客様を呼び込むという新しいことに挑戦されている。すごくいいスタートになったと思います。横浜へ観光キャラバンに出かけられるなど、積極的に活動されていて、今後それが新しい上野の魅力につながっていくと思います。

(つづく)
[第1回:上野駅、132年の歴史の重み]
[第2回:北の玄関口として]