2016.01.25

Special Interview「上野のれん会、山と街と共に」

[第2回:上野のれん会誕生とその理念]

●上野のれん会会長 須賀 光一さん
●聞き手 佐藤 輝光(松坂屋上野店)

創刊時からのスタイルを守り続け、読む人に愛されてきた、タウン誌「うえの」。毎号、著名な書き手が名を連ね、読み物としての高いクオリティを保ってきた、その歩みについて、上野のれん会会長の須賀光一さんに伺いました。

■読み物としての高いクオリティ

佐藤:「うえの」のように毎号、これほど著名な方たちが執筆しているタウン誌というのはなかなかないですよね。執筆をお願いするだけでも大変そうなのに、それが普通に毎月掲載されているところがすごいと思います。

三周年の昭和37年6月1日号

須賀:創刊号から、三周年記念号も含め表紙は、80号まで洋画家の長谷川利行氏でした。執筆者の皆さんとも長いお付き合いですし、「うえの」だからということで書いていただいている。それはやはり歴史ですね。他誌だったら、今ではもっと高い原稿料でしょう。非常にありがたいことです。バックナンバーも、美術館のイベントなどで置いておくと、1日200冊くらいは、すぐになくなるくらいの人気はあります。

佐藤:「うえの」を読めば、上野でその月に注目すべきものはすべてわかりますから、私も愛読しています。

須賀:少なくとも美術館で何をやっているかという、毎月のトレンドは掲載していますからね。冊子の編集実務は、のれん会のスタッフがほとんどやっています。社員2名に顧問2名なので、みんなの仕事量は相当なものですが。著者から直接原稿をいただくこともありますし、こちらで取材して原稿に起こす場合もあります。毎月のテーマも時宜に応じて色々です。上野は、街の歴史と山の文化があるので題材が尽きることはありません。これが街だけだったら、単なる広告を集めたようなものになってしまうかもしれませんが、これだけ山の文化に動きがあるので、その情報・内容を掲載するだけでも意味があると思っています。

佐藤:文化ゾーンの紹介といっても、書いていらっしゃる方が館長さんだったり、企画担当者だったり、実際に観に行くのと同じくらい深いことが書かれているので、読み物としてのクオリティはすごく高いし、内容も深いのでびっくりします。

■三周年記念の想い出

須賀:そういえば、上野のれん会の三周年記念は松坂屋さんでやったはずですよ。

佐藤:え、そうなんですか。

三周年記念アドバルーン-松坂屋屋上から

須賀:当時はアドバルーンが登場した頃で珍しかったので、松坂屋さんの屋上から三周年記念のアドバルーンを上げたんです。司会が黒柳徹子さんで、弁士の徳川夢声氏を呼んで、歌舞伎や能、落語からも当時の一流処を集めました。なかなかすごい顔ぶれでしたよ。ちょっと乱暴な言い方ですが、いわば贅沢な“ごった煮”です。上野の街自体もそういうところがありますが、文化ゾーンがあってアメ横があって、飲み屋街があって、この街に来ている客層も多種多彩な人が行き来している、そういうある種、人生の縮図みたいな街が上野です。またそれで、うまくバランスが取れているんですね。

佐藤:タウン誌「うえの」が、これだけ長い間、続けることができたのは、もともとの理念をしっかり持ち続けていらしたからなのでしょうか。

須賀:父とすれば、形が変わっていくことは別に構わないけれども、ただ、そこに込めた想いや理念が変わることは是としませんでした。そこはよくいわれました。一つだけよく覚えているのは、「理屈はどうでもいいけど、お前、本物がわかるのか」って。これは怖い言葉でしたね。

三周年記念公演の様子を掲載した「うえの」

佐藤:冊子を拝見していると、のれん会の匂いというか、佇まいがよくわかりますね。

須賀:のれん会もそうですが、うちの父が創ってレールを敷いてくれたわけですが、時代とともに変化していく必要はあり、日々考えています。どこかに会員の方が感動するものがなければいけないし、またそうしたものをお客様に伝えていく、その時代の人に届くものでなければならないと思い続けています。(つづく)

 

[第1回:上野のれん会誕生とその理念]
[第3回:輝く文化が集まる街・上野]
[第4回:商いとアート]
[第5回/最終回:人々の想い出に刻まれる場所として]