2017.06.13

Special Interview「上野のお宿と街の、今昔物語。」

[第5回/2020年東京オリンピック後の上野に向けて]

●上野ホテル旅館組合 組合長/渡辺 定利さん
●聞き手/山田 諒典(松坂屋上野店)

2020年に開催される東京オリンピックは、一種のお祭り。祭りの後の上野の姿をどのように見据えているのか、上野ホテル旅館組合の組合長・渡辺定利さんに、ご自身のお考えを伺いました。

組合事務所の前で

 

■2020年後の上野を見据えて

山田:上野の今後について、どのようにお考えですか?
渡辺:オリンピックというのは一種のブームで、終わってしまえば、みんな忘れてしまいます。2年も経てば、熱は冷める。そう考えると、2020年のオリンピックが一つの区切りになると思います。むしろ、その後の手立てを今のうちに考えておく必要があるでしょう。
山田:何か、具体的なアイデアはあるのでしょうか?
渡辺:上野公園は、もともと江戸時代には寛永寺の敷地でしたが、明治維新後、そこに陸軍病院を建てようという話が持ち上がりました。それに反対したのが、オランダ人軍医のボードワン博士です。上野の山の豊かな自然を生かして公園にするよう政府に働きかけ、上野公園が誕生しました。その後、上野公園では、1877(明治10年)年に伊藤博文が音頭をとって第1回の内国勧業博覧会が開催されました。

※第1回内国勧業博覧会の図

日本の国力を内外に示す意図で、天皇の行幸まで行って、当時の最先端技術として国内の工芸品84,000点が展示されました。その後も、さまざまな博覧会が上野公園で開催され、なかでも1907(明治40)年の3月から7月まで開催された東京勧業博覧会では、ウォーターシュートや空中観覧車、夜のイルミネーションなどが設営され、今でいうアミューズメント・パークのような色合いの博覧会だったようです。当時は、まだ人力車の時代ですから、訪れた人々も驚いたと思います。上野公園は、そういう歴史的な催しが数多く開催された希少な場所ですが、そういうことが、今は忘れ去られている。それをもう一度、見直すことができないかと考えています。

 

■上野公園ミュージアムパーク構想

山田:それが、「上野公園ミュージアムパーク」構想ですね。

渡辺:上野の文化施設といった既存のインフラを利用して、同一テーマで各施設がそれぞれ特長を生かした催し物を同時開催することで、一大テーマパークにするという構想です。これを2年ごとにテーマを変えて開催して、明治・大正期の博覧会を振り返る機会にしたいと考えています。渋谷、新宿、池袋というのは、駅を中心に商業施設が林立している街ですが、上野の場合は、上野公園の中に複数の文化施設があって付加価値性が高い。加えて、下町的な義理人情の厚さ、さらに近隣に浅草という一大観光地を控えていることも考え合わせると、テーマパークを核にして、いろいろな形での展開も考えられると思います。とはいえ、組合や私個人の力ではどうにもならないので、時間をかけて、皆さんにお話して協力を仰ぎながら、機運を高めていきたいと思っています。いずれにしても、上野というのは、そういう大きな夢を描ける場所だと思います。

「上野公園ミュージアムパーク」構想

今後は、上野の付加価値、存在感をより高めていく必要があります。宿泊には2種類あって、一つは手段としての宿泊。もう一つは、宿泊すること自体が目的となる宿泊です。目的としての宿泊というのは、金沢の七尾にある加賀屋旅館のように、泊まるだけで目的が完結する施設。我々のような上野で営むホテル・旅館というのは、宿泊する方に観光や仕事という目的があって、そのために泊まる施設です。そういう施設の場合、食事や観光に関しては、上野の街に担ってもらう必要があります。つまり、上野の街と共存共栄関係にあって、私たちは常に上野と共にあると、そう思っています。上野に商売をさせていただいている、そういう感覚ですね。だからこそ、こうした上野の街の価値を大切にしたいし、上野らしさを残していきたい。すべてを無味乾燥な高層ビル街にするのではなく、この街の景観・雰囲気は守っていきたいですね。 (おわり)

 

※ 現在工事中の、JR上野駅公園口近くの工事現場の囲い壁面に描かれた錦絵。人々が足を止めている。

[第1回:上野ホテル旅館組合の創立と活動]
[第2回:上野の旅館業の変遷〜その1]
[第3回:上野の旅館業の変遷〜その2]
[第4回:上野の変化とともにあるホテル旅館業]